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彼女欲しいってのはつまり誰かの1番になりたいってことと同義やと思うたとえばめっちゃ仲良い親友があったとしてもその人にとって自分がいちばんの親友かどうかは確かめる手段がないけど付き合って彼氏彼女の関係になったら基本的に相手が相手にとっていちばんの存在になるわけであってそれがないってことは自分を一番に思ってくれる人がいないと言う寂しさを感じているのではないかと思ふ

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ob会2回目やけどまたコミュ障発揮してしまって誰とも話さずに終わってしまった、終わった後になってまあちょいちゃんと話せばよかったと思う、けどその場ではどうしても体が動かない。その後の飲み会も誘われたのに行かなかった、いっても話さないのがわかっているから、こういうのが人生を損させているんだろうなとおもう、来週同じようなチャンスがあるから今度は友達とかたまらずに話してみようと思うこの決意が来週まで残っていればの話だが、天職を見つけて欲しいというのは良い話だった就職したからと行って人生が全部決まるわけでも何でもない就活失敗したところで最初に入るところが大手じゃなかったってだけの話、次に転職するまでに自分の価値を高めていけばむしろ大企業で社畜してるよりも立派な人間になれるのではと思う。結局自分の歩みたい人生を歩むことが最大の目標、1番の夢を失った今それはべすとからベターへと変わってしまったが人生なんてベターを追い求めるしかないものだ

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安かろう悪かろうって言葉あるやん、実際そうなんやけど、作ってる人とか企画してる人はどうにか頑張って低価格のまま製品として仕上げようと努力したはずで、例えば100均だったらすぐ壊れるように作ってやろうと思って作ってるわけはなくて、なんとか100円に収めるためにギリギリのやりくりをして作られててそれを安かろう悪かろうで片付けるのは良くないと思うたしかに悪い悪いのは確かやけどそれでも安いのはダメだってのは違うんやなかろうか

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地球が平面の円だと思われてたってのは有名な話やん、端っこに行ったら奈落に落ちると思われてた、それは普通で何も学ばずに今まで生活してきてたら俺もそう思うと思うまさか万有引力を思いつくわけもないし、でも球なの知ってるし自分が生まれた時には簡単に円の時代でいう端っこに行くことができた、その話を初めて聞いた時、端っこ行けば分かることやんバカなん?と思った、しかしその時代には航海術が未発展で、端っこまで行くのはとんでもなく大変なことだった、これを現代に置き換えて考えよう、この場合の海は宇宙だ、現在の一般的な宇宙論では宇宙は拡大し続けている、みんなこれを科学的に信じている、果たして本当にそうだろうか、いつか、いつかの未来に端っこに行ける時が来ると思う、その時には科学的とかそんなの考えずにただ宇宙がどうなっているかを見ることができる、円だと思われてた時代に円だと言うことを笑うものは誰もいなかった、しかし現代の自分は笑う、これが将来起こることは大いにありうる、宇宙が広がり続けてる?バカじゃないの?端っこ行けば分かる話やん、となる時がいつか来る、でもそれを見ることは出来ない人は意識を持って産み落とされたわずか80年の間しか知ることは出来ないがつなげていくことはできる、自分で考えずに人類で考えればもう少し大きなことが出来るだろうな

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みんな四季無くなったとか夏から急に冬とか言ってるけどちゃんと秋もあるし確かに気温の変化は急になったのかもしれないけど色んなとこに秋はあるし気づかないだけじゃないかな気づくことが幸せにつながる同じ行動をしたりされたりしてもそこに気づきを入れることで幸福度が上がると思う簡単なことだけど一番良い方法だけどじつは難しかったりする

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自分を決めつけることで自分がそれ以上大きくなることを妨げてしまうことがよくあると思うんやけどなんで決めつけが起こってるんやろうか自分が変化することを嫌うからかなんで変化することを嫌うんや変化にはエネルギーがいるしそれがプラスになるかマイナスになるかわからないから?めんどくさいから?まだまとまらんな